読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

プログラマー≒大道具仮説

開発

ソフトウェアを製品として販売する世界、つまりソースコードを書いてお金を貰う世界で働いているのなら、プログラマーがスターでありアイドルであり、価値を生み出す源泉であると思います。

hamastaの日記 -お休み中- - アプリケーションスペシャリスト

g:hamasta:id:hamastaさんが、プログラマはスターでありアイドルであり、
(ソフトウェアの)価値を生み出す源泉であると言われているのに反応。

いきなり反論のようではあるのですが、(ベクトルが違うだけなのですが)
僕はプログラマは決してスポットライトを浴びる事もなく、
ただただ直向きに働く大道具で「あるべき」、と考えています。
時にはカリスマプログラマも必要でしょうが、いわば広告塔としてと思います。


なぜか?


アイドルという存在がアイドル一人で成り立たないのと同様に、
ソフトウェア開発というものもプログラマ一人の存在によって成り立つものではありません。

アイドルが自分の売り出し方を考えるわけでも、
衣装や舞台を考える訳でもなければ、
方向性を決められる訳ではありません。

存在価値、イメージ、振り付けや台詞、大道具、小道具、メイク、衣装、それらを定義、用意するのは別人です。
細々としたことを考えることはアイドル自身にはできません。


よって、アイドルはアイドルとしてしか振る舞えない、と考えられます。


ソフトウェアも同じで、
プログラマが一人で作っている訳ではありません。(主に業務の話です 除オープンソース系)

出資者、
クライアント、
プログラマ
デザイナ、
コンサルタント、
営業、
工場の人、


挙げていけばきりがないくらい人が関わっています。
ソースコードがなければソフトは動かないでしょうが、
ソースコードがある、または実行できるバイナリがあるだけではソフトウェアとは言えないでしょう。


で、実際プログラマというのは縁の下の力持ち的な存在で、
環境を整えたり、
懸念事項を洗い出したり、
可能か不可能かの判断をしたり、
どれくらいの規模で、どれくらいの工数がかかるかを見積もったり、
主にそういった地味で表面にでない仕事を主とします。


エレガントなコード、
ポータブルなコード、
そういったコードを書くこともありますが、
ケースに応じて
どのようなコードが適切かを考えるのもまたプログラマです。

僕はプログラマソースコードを書くこと、が仕事だと考えていません。
むしろ、考えることが仕事だろうと思います。
書かなくて済むようなものは書く必要がありません。
何が必要で、何が無駄で、それはどんな理由でか、を適切に考えられることこそ、
プログラマたる資質ではないか、と思い始めています。

これは舞台をセッティングするようなこと、
ないしは、
どういったステージがこのアイドルには適切であるかを考えることに似ているのではないでしょうか。
(決断するのは多くの場合別人)

こうした僕の認識上においては、
プログラマが一人欠けようともサービスやソフトウェアは存続します。
すなわち、存続しない訳にいかないサービスやソフトウェアこそがスターでありアイドルである、
と僕は考えます。
なぜならサービスやソフトウェアは宣伝によって大勢にアピールされ、
眼に触れ、直に使われ、スポットライトを浴びるための表舞台の存在だからです。

なので背景で働くプログラマは、欠けても問題がないともいえます。
しかし、ある人がいなくなったとき、
周囲の人が不便に思う、
ないしはそのサービス、ソフトの質が下がる、
違和感が生じる、
ことは十分にあり得ます。

逆にいえば、
そのプログラマがいることによって、
全体的な質を向上させ、様々な良い影響を与えていくことこそが「プログラマの価値の源泉」なのではないでしょうか。


そして、プログラマはその背景を支えていることに誇りを持つべき、とも思います。

プログラマが一人欠けても、表面上は何も変わらない。
けれど、様々なところで影響を与えていることにみんなが気付く。
そんなプログラマになりたい、とかなんとか思います。

というわけで、現状に不満のある人は、転職すればいいというか、転職する意外に不満を解消する方法は無いのではないかなと思うのです。

業務の非効率性や待遇の不満について経営者に幾ら訴えたところで、単なるワガママとして相手にされないのが普通でしょうから。

hamastaの日記 -お休み中- - アプリケーションスペシャリスト

は同意にございます。

実際チームのムードをつくっているのもプログラマであったりするので、
ガラッと場が変貌し、その価値に後から気付くこともあると思います。