苛立ちや焦りの正体=老い

 自分が年齢を重ねる度に感じてきた苛立ち、いわゆる同期や上層部、若手に対する進歩のなさに関する苛立ち。
 これって何だろう、と考えていた。

 例えば、どうしたって勉強しなければならない筈なのにわからないものはわからないで通そうとする同僚。
 興味がないものは興味がないで済まそうとする同僚。
 30になってもまともなコミュニケーションすらとれず技術力もない先輩。
 ただゲームを作りたいと理想を述べるだけで作りたいものを作るための事を学ぼうとしない新人。

 すべてが当てはまるとは限らないけれども、似たような怒りを感じたことがある人はいるのではないかと思う。
 漫画ばっかり読んでいて良いのか、ネットゲームばっかりしていて良いのか、どうして技術書の一つも読みはしないのか、その種の怒りを感じたことがある人は0ではないと思っている。
 
 じゃ、これってなんだろう?

 これは恐らく(自分にとっては)加齢と共に抱く自分に対する焦燥感の表れ。
 
 本当に周囲が進歩していないわけではなくて、それは目の届く範囲内に止めているからに過ぎなくて、自分のレベルでは目や手の届かないところでは凄い勢いで成長している人たちがいることに対する恐れ。
 そういう存在を脅威に感じるが故に苛立ちも焦りも生まれる。その怒りのはけ口を他者に求めている。

 実際に若い世代はそこまで育っていない訳じゃないと思う。
 上の世代だって無能ばかりではない筈だ。
 同年代だって、そこまで勉強していない訳じゃない。

 だから恐れている。焦っている。

 加齢に伴って自尊心は成長するし、それと能力の成長は必ずしも比例しない。
 あんな大人になるまい、こんなことができる大人になろう、そうした理想は多くの場合、自尊心の成長を助ける。
 自分はこうしてきた、ああしてきた、ああなりたい、こうなりたい、これらはすべて自尊心で、自分はこうあるべきとしてきた自分に対する心のありようだ。
 
 例えば同年代ですでにある種の社会的地位を手に入れている人間もいる。
 社会的影響力を持つ人間もいる。
 中にはそれを偉く賢くなったと勘違いして、若い世代や上の世代を無能と攻撃してしまう人もいるけれど、
 そうでなくて、きちんと導き手として歩んでいける人もたくさんいる。

 どちらにせよ正直な気持ちを吐露すれば、それがうらやましいのだろう。
 だから、どうして自分はそこにいけない? という自答を自分が見下せる相手に対して適用してしまっている。
 自分に対する怒りを他者になすりつけてしまっている。

 だから、僕自身が(例えば)MMOにはまって帰ってこれなくなっている元同僚に感じる怒りや焦りは、それが自分自身を少なからず投影しているからに他ならない。
 寧ろ、そうしていない筈の自分が同じような立ち位置にあることに憶えている怒りや焦り、悲しみに他ならない。

 なりたいものになれていない自分に対する苛立ち、目の前の道がどんどんと狭まっていく事に対する焦り、背後が確かなものになっていないのではないかという恐れ。
 自尊心からくる劣等感。

 自分は自分になれば良いと口では言いつつも感じている肥大する自尊心。
 自身を卑下して「しょうがないんだよ」ということで少しでも癒されようとする愚行。

 どうしようもない自衛行為なんだろう、と考えている。