情報を与えられすぎるからゲームはつまらないんじゃないの?

 あえて言うべきことでもないのだろうけれど、ゲームを面白くなくしたのは「容易に手に入る情報」なのかなと思った。
 先日のFFIIIのバグに関連してちょこっと情報を見たのだが、発売日間もないっていうのに一通りのバグ情報から攻略まで出そろっている。
 凄いな、便利だな、と思う反面、これってつまらないよなと思う。例えば「攻略サイト」に「このジョブは後半必要になるから前半から育てるべき」とか書いてあったら使ってしまう人が大半になるよなぁと。
 元々攻略サイトを見たりする人は「見逃し」を嫌ったり「効率よく」クリアすることを目的としているだろうし、そこに有益な情報として載せられていたら「それを選ばない理由はない」よなと。
 これって、最適解に近づくことで結局画一的なプレイスタイルを確立してしまうわけで「試行錯誤」する機会は失われて「作業」に変化してしまうだろう。自分が小学生の頃はあの分厚い「ファミマガ」を楽しみにして買っていて、ゲームは発売日に買ってしまうものだから、すぐに攻略は終わって後は試行錯誤ばかりだった気がする。友達と話し合うことで得られる断片的で確実でない情報の中で何かを探していくあの感触が良かったのかな、などと思ってしまった。確実で的確な情報というのは便利ではあるけれど楽しみを殺してしまう要素なんだよね。


 これと同じで、最近のゲームはそもそも「情報を与えられすぎている」と感じられた。
 キャラクタに名前と人格が与えられて感じた不満というか違和感がそれだ。
 あの無機質だったキャラにデフォルトネームと外観、性別、生い立ちが与えられたことで「(名前も何もかも)これでいいや」と思ってしまったこと。元々IIIは名前なんてなくて、キャラとしても単なる色違いで、でも、そこに味があったんだよな、と感じた。
 無個性な記号に名前を与えることで得られる具体性、そこからプレイヤーの想像力は喚起されて、世界は始まって、ストーリィさえ簡素で、でも、そうした中でプレイヤーはキャラクタ性をキャラにきちんと与えていた。あの頃は「戦闘中の会話」とか想像しながらプレイしなかったかな? 飛空艇を手に入れたとき、手の中のキャラクタたちは画面にはない台詞を言わなかったかな?
 そう思うと、今は顔も名前も与えられて、ストーリィさえ与えられて、逆にステレオタイプになってしまった気さえする。

みんないっしょ同じ顔

 でも、個人が与えた人格は違っていたよね。それがあの頃にあった輝きだったんじゃないかな?
 雑誌にさえ「レフィアには白魔道士がお似合い」なんて文言を見つけて落胆する。これって、そういうゲームだったっけ?
 懐古主義者なのかもしれないけれど、

 行間さえ想像させてくれない物語なんてもうウンザリだ。