中絶する権利

 id:debyu-boさんの、
 http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060625/1151214902
 のエントリを読んでふと思ったので失礼します。

もう6、7年前の話になると思うが、とある女性学系の掲示板である男性が「胎児は人間であり中絶は殺人だ。中絶は女性の権利だなどというあなた達は殺人者だ。生まれる前の胎児は人間ではないというなら、出産直前の胎児を殺すことを想像してみなさい。あなた達にはそういう想像力が欠けている」といった発言(かなり前のことなので不正確なところもあるかもしれないが)を繰り返していた。

 今更の感もありましょうが、自分も意味は違えど「中絶は殺人である」と思った事があるので所感を述べます。

 とりあえず「出来てしまった原因による是非」は脇に置いておきます。
 中絶の権利云々も捨て置きます。命の価値も捨て置きます。

 まず前提として「何らかの理由で中絶を選択するとき」赤子を殺さなければならない咎を背負うのは「医師」と「女性」、そして「男性」だと自分は考えます。直接手を下し命を奪う「医師」、そして命を生み出した「女性」の方が「男性」よりも辛さを伴うのではないか、とも自分は感じます。

一体レイプでできた胎児と軽い気持ちで性行為をしてできた胎児との間にどんな違いがあるというのか。軽い気持ちで性行為をしてできた胎児の苦しみに思いを馳せるのならば、レイプでできた胎児の苦しみにも同様に思いを巡らせるべきだ。

 レイプで出来てしまった子供も、軽い気持ちでした性行為で出来てしまった子供も、「中絶という『作業』の過程及び結果」は全く同一です。そこに至る経緯としては、様々なケースが考えられる訳で「医師」「女性」「男性」がどう考えどういう思いを抱きどう行動するかは様々で一概に是非から何からどうこう言える問題ではない、と感じました。
 ただ、恐らく胎児はまだ苦しみを知らないと考えられます。ですから、考えられるべきは「苦しみを感じる人間」についてだと考えています。まだ苦しみを感じる事ができない存在に思いをはせることはできません。

 それでも、自分は「中絶は殺人である」と言わなければならないと思います。なぜかと言えば、軽い気持ちの性行為は「女性」にも「男性」にもそれを拒否する為の権利も手段もありますし、一方的な欲望によってレイプにより胎児を生ませてしまった「男性」もまた殺人という咎を背負わなければこうしたことは少なくはならないと思うからです。

 極論で言えば「レイプによって胎児を生じさせてしまった場合、その原因を作り出した男性には殺人罪と等しい刑を求刑する」のような法律があっても良いかもしれないと感じます。現実的には難しいのでしょうけれど。

 現実的に子供が出来てしまっても育てられないという事はありますでしょうし、望まれない子供が生まれても結果として生まれてから不幸になるのでは元も子もないわけで実際に身体に命を宿す「女性には選択権がなければならない」と考えます。
 ただ、それがいつでも軽々しい選択権ではなく、ある種の重きを持った選択権でなければならない、と考えます。
「男性にとっても女性にとっても医師にとっても」
(全ての女性が「できたらおろせばいいや」と軽々しく考えていると言っている訳ではありませんよ)

 全てを駄目とか良いとかいうのではなく、「中絶という権利」にのし掛かる責任、そういう事を大事な意識として持つべきではないかと思う次第です。
 寧ろ「産むという権利」「産まないという権利」でしょうか。産んだからには幸せにしてあげなければならない義務もあるのですから。

 産まないとしても「医師」も好きで毎回「命の芽」に手を下している訳ではないでしょううしね。